光り輝く(24格) (最大吉 福寿財運福禄運)
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"美徳" "本願" "絶景" “新しい井戸" と同じ同格数であります。
(私心なき、私偏なき、不正なき心)と、それに反する行いとの差。
某IT企業元社長の名は、株のGreen Mailer (グリーンメイラー)と同格数であった。
ならば、彼がそれをすることは、何の躊躇もなかったかもしれない。
「中国古典新書・近思録p239にあり」
"私智の至り" =機事は、たくみにあやつること。機心は、機事に引かれてたくみにあやつろうという心。いつわりたくらむ投機心である。
機械的にあやつりの心をもって事をあやつることが久しいとうまくやろうというような機心が必ず生じてくる。これは"私智の至り"で、機械的に事を処理して行おうとすると、そのたくみさに引かれて、心に必ず喜んでそれを欲するようになる。その喜ぶということは心の内に機心の種をまいたようなのもで、防ぎ切れない。と。
("私智の至り"と"投機心"は28格の同格数であり、28格とは、ケンカ、口論の星であり、不倫、別離もいとわぬ、一難去ってまた一難という、家族の苦労が絶えない大凶数でもあります。)
このように分かりやすい危機感("私智の至り")でさえ、今の日本人は忘れているようだ。
太陽門(29格) (知謀抜群、非凡、活動力のある"良い水"を表している)
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"恩寵" "甘露水" "希望は叶う" "良い庭師" と同格数であります。
大楽に至る最後の門であり、ここを通り抜ける人だけが、奥に住むお方(二人)と会うことができる。
しかも、許されて、愛されて入るので、当人には何の苦もないのである。
私はその時、立ったままで、不思議な気持ちでその二人を見つめていた。
何の礼もいらず、言葉もいらなかった。ただその二人が正しいお方であることを感じた。
私はその門を通り抜ける前、私の守り役のお方と、黄牛の革ベルトで、腰をきつく縛りあった。
その時、まるでベルトを引っ張られたかのように、二人はすっと門を入った。
私の後ろで門はガシャンと閉められ、(その門の閉まるところを私は見た)私は一人宮殿に入った。
門は二度と開けられることはなかった、旅に出ることも、そこをやめることも許されなかった。
ただ、愛情の発露を待ってくれた。
(大楽とは、"暖かい" "信じること" "自然" と同格でありました。)
ビャクダンの道(32格) (最大吉 福徳、 実直、年を経るごとに多幸の運)
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"全知全能" "燃焼" "物質化する" "永遠の命" と同格数であります。
「栴壇(せんだん)は双葉より芳し」という。(集英社国語辞典) (栴壇はビャクダンの異名と)(ビャクダンが発芽の頃、早くも香気を放つように、大成する人は幼児の頃から人並みはずれて優れた所があるというたとえ)双葉とは、芽が出たばかりの幼い者である。
人には"四端の心(したんのこころ)"があるという。
良いことを良いと思い・悲しいことを悲しいと思い・恥ずかしいことを恥ずかしいと思い、悪いことを悪いと思う心。
この四端の心は、どんな幼い子にも備わっているという。
その幼な子の清らかな気持ちを曲げず(柱げず)に育ててやる道こそ、これであり、その時は必ず、己も成長しているはずである。
無限の知力(37格)
(大吉 誠実で、独立独行の人を表し、閻魔(エンマ)に通じる)
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"(神との)直の関係" "流れに身をまかす" "愛の宮殿"と同格数であります。
無限の知力とは何か。私たちを動かす、目に見えぬ力のことである。
悲しいかな、凶数の人が泣き、吉数の人が笑うのも、また現実でした。
でも、悲しい人が終生悲しいままで仕方がないというのであれば、吉名(その人を救うために付けた名)には何の力の無いという事になる。しかしそんな事はない。
数理の霊道により、人は変わる。
吉名は人を救うが、未熟者が間違ったやり方で、間違った計算のもとに行えば、人をも殺す。
(間違ったところに点を付けたばかりに有名な歌手は死んだ。)
(そこに点を付ける事を助言した先生がもしいたら、その人は今すぐ仕事をやめ修行しなおしたほうがいい。再び人を殺さぬために)
数字には何のためらいも無いかの如くである。
生きる人が生き、死ぬ人が死ぬのである。
無限の知力が無くば、なぜそんな事が起こるのでしょうか。
これは錯覚ではありません。日々起こっている真実です。
吉運は、真実を認めるところから始まるのです。(では、あなたの真実は、何か)
光庭(ひかりにわ)(16格)
(凶を吉に転じる力を持ち、人望運があり、人の上位で成功する数)
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"実力" "人間力" "千愛(せんあい)" "働く人" “針の穴" と同格数であります。
厳しい修行の針の穴を通らなければ、光庭を見ることすらあたわず、であります。
通り抜けてほしい。
光庭とは、千愛と同格であり、多くの人を愛する決心のつかない者に、見えるはずも無いものである。
しかし、この世の人々は、心に何の芯(しん) (真実に通じる)ものも無いのに、それができると思っている。
同行二人も同じ事である。もたれあう二人では、いずれ倒れる。
自立した自己を持った強い私(わたくし)があってこそ、神仏との同行二人は完成するのである。
その人には光庭も、決してまぶしくはないのです。
しかし、弱い人間にも助けを求める声は出せる。
正しい者が来てくれることを求めましょう。
では、正しい者とは誰か。それはすぐに分かる。結果が善いからである。
天水光神の庭(35格)
(大吉 温良。和順多幸。神と結びつけば最大吉になる数)
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"金剛の誓い" "幸福の呪文" "着地点" "善いものを届ける" "ユビキタス社会"と同格数であります。
"金剛の誓い" "知恵と慈悲" "堅き土(不動の強き心、巌、岩、ペトロ)"
(35格) + (52格) + (18格)=105-81= 24格
(最大吉 最大名誉財運数の数霊となります。)
(24格とは最大吉であり、"真実" “聖堂" “新しい井戸" “金龍" “青龍" “良いものを届ける“に通じる)引法大師も、これらの誓いを忘れぬために三鈷(さんこ)を握り締めていたのだろうかと思いました。
良い誓いはウソをつかず、この人を守ったのです。
また、霊数がいかに最大吉であろうとも、それを行うのは人です。
人が行うのです。愛の心なくば、行い切れるものでは無いのです。
あなたの生年、月、日の星を再度合わせるとすれば、少なくとも240年以降の可能性しかないのです。
生時も加えれば無限に一人。あなたは前後に限り無く一人なのです。
唯一の存在なのです。
ですから、人は愛し合わなくてはならない。互いに唯一なのですから。
また、いかに唯一を固持しようとも、それを忘れ、許す、深い愛情にまさるものはないのです。